みなさん、こんにちは😀
『子ども虐待防止策イベント in 東京 2022』を
秋に開催する運営グループ「パワチル東京」のスタッフれいこです。
私は昨年、『子ども虐待防止策イベント2021 in 東京』で
私自身の虐待被害を伝える「親への手紙」を読みました。
壮絶な話ですが、もしよかったら、YouTubeにアップされている動画を見てください。
(フラッシュバックに注意してください。)
今回は、私は虐待サバイバーであり、私の加害者である父も虐待サバイバーだったという「虐待の連鎖」の話です。
祖父は、プロテスタントの牧師で、父は教会に生まれました。
小学校に入学したころから戦時色が強くなり、学校で、宮城遥拝と言って皇居の方を向いて最敬礼する儀式や、御真影という天皇の写真に最敬礼する儀式もありました。
そういえば、天皇は現人神とされていました。
キリスト教には、偶像礼拝禁止という戒めがあり、祖父母は子どもたちにそれを守らせようとしました。
父や叔母たちは、両親の言いつけを守ったそうです。
学校側からどんな迫害を受けたのか、誰も語ろうとしません。
たぶんひどい目に遭ったと思います。
祖父母が開拓伝道中の村では、「アーメン、ソーメン、冷ソーメン」とからかわれ、石を投げつけられていたと聞いたことがあります。
完全な村八分でした。
旧制中学の頃には、戦争に反対していた教団の指導者7名が獄中死します。
思春期の父にとって、知り合いのおじさんが7人も殺されてどんな気持ちになったのでしょう?
私自身は、大災害でもなければ、そんな経験はしないだろうなと思います。
私には、父の心情を察するに余りあります。
そして、昭和20年。
呉の陸軍病院に入院していた敬愛する伯父が、戦病死します。
明日、退院という日に空襲に遭い、一度は逃げ出したものの歩けない戦友を助けるために、病院内に戻り亡くなったということです。
伯父は、いかにもクリスチャンらしいと思います。
父は、この時を境に精神に破綻をきたし、数カ月祖父と共に有馬温泉で湯治をしたそうです。
湯治では精神の病は、治せません。
その後、1年ほど祖父の田舎に預けられたと聞いています。
父は、この頃、信仰も捨てています。
父に必要なのは、きちんとした治療でした。
でも、終戦直後のこと。
まだ、日本に「隔離」以外の十分な精神科医療があったとは思えません。
精神病の自覚のないままに、虐待の連鎖を断ち切れなかった父を理解することはできるようになりました。
父も不幸な子どもだったのだと思います。
でも、父が私にしたことは、やはり、許すことができません。
私は、虐待の連鎖を断ち切るために、子どもを持つことを諦めました。
父の物語を調べてみて、祖父母の虐待というより国家的虐待といった方がいいのかな、とも思います。
戦争こそこの世にある最もひどい虐待だというのが、私の結論です。
明日は、終戦記念日。
不戦の誓いを新たにしたいものです。
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名義 パワチルトウキョウ
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