みなさんこんにちわ🌷
人民新聞は人民新聞だけでは成り立つことができません。
ほんの、数名程度のスタッフで回している状態です。
人民新聞は社会問題に敏感でありたいと願っていますし、多様性を持ちたいと切望しています。
「人民新聞にできそうなこと」「原稿を書いてみたい」「質問」
「この問題を取材してほしい」「紙面にこのことを紹介したい」などなど、希望があれば、是非ともご一報ください。人民新聞は関西を中心に活動しています。
「人民新聞」のホームページにはこう書いてあります。
みんなで作り上げていくスタイルの新聞みたいですね。😊
それでは そらさんの記事をお読みください🙏
💚「人民新聞社」さんには転載の許可をいただいています。
@ 近所に預けてほしかった
虐待は連鎖するといわれている被虐待者が、自分の子どもに虐待しないよう必死に向き合う姿を知る人は少ない。当事者への取材を通してその姿を追った。
そらさんは母親から心身への暴力を受けて育った、日常的に父親の悪口を聞かされ「馬鹿」「のろま」などと言われた。兄弟姉妹たちも母親の言動を信じたのかそらさんを罵るようになった。兄弟姉妹と比較されることも多く、自信をなくしていった。誰も話を聴いてくれず、相手にされなかった。
物心ついたころには母に宗教に入信させられた、宗教的価値観の押し付けと人格否定に苦しんだ。母親になにかと「何でこんなことするの?」と問われ、答えようとすると「言い訳するな」と殴られた。
それでも結婚して、子どもを2人授かった。母親は「お前が過保護に育てたからわがままになった」とそらさんを非難するなど、育児にも口を出してきた。元夫は子育てに関心がなく、追い込まれる中で子どもを怒鳴ることが増えた。自分の子どもを怒鳴りながら、母に怒鳴られた記憶が蘇る。母親の鬼のような形相が浮かび、そらさんはパニックになった。このままではいけないと思い、必死に虐待関連の本を読んだ。自分が変わらないと子どもたちは救われない。
だが、離婚の際も,話し合いに介入する母親にブチ切れ、「もうあんたとは関係ないから」と絶縁した。離れて住むそらさんの父親に、孫を見せたいと会いに行った。そらさんの父親は、そらさんの子どもの頃の話を教えてくれた。病弱でよく熱を出すそらさんを置いて、母親は飲みに行ってたという。父親が会社の休み時間にそらさんを病院に連れて行ってくれた。
その話を聞いた時、そらさんの中でストンと腑に落ちた。「自分は虐待を受けていたんだ、私は、母親にとっていらない子だった、それなら近所に預けてほしかった」 今は生活保護を受けながら子どもたちと暮らす。子どもたちとは今は仲良く暮らせていると思うという。
大人になった被虐待児者には、行政からの支援はない生保で受けられる範囲のメンタルクリニックに通うだけだ。
以上が、私の記事です、取材をしてくださった記者さんも虐待サバイバーで、新聞というメディアを通して、いろんな人に虐待について考えてほしくていろんな人に取材をしていると、話してくれました。
そして、わたしとこうさんの話を聴きながら「つらかったね、私 泣きそうだよ」と言ってました。
当事者にしかわからない痛みや苦しみがありますが、その人たちの話を聴いたときに「もし、自分が子どもで同じ立場に置かれたら?」という想像は必要です。
一人ひとりの痛みも感じ方もその人にしかわからないけども、それでも誰でも子どもの頃、誰かに傷つけられた、または叩かれたという経験を一度はしているはずですから、怖かった、痛かったという感覚はわかるはずです。
でも、残念ながら、その感覚を忘れて虐待に無関心で子どもを道具のように粗雑に扱う大人がいます。
その人たちの子ども時代も、もしかしたら壮絶だったのかもしれません。
じゃあ、その人たちには何が必要なのか?
それは、地域のコミュニティや、行政からの支援だと思います。
去年の子ども虐待防止策イベントin東京のリンク
私たちの活動する『子ども虐待防止策イベント』はどの政党に関係なく、多くの議員の方の参加を歓迎しています。
※当日会場で自分の虐待被害を伝えたい方、募集中。
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きらぼし銀行 堀之内支店
普通預金 店番 079
口座番号 5053908
名義 パワチルトウキョウ