2022年8月17日水曜日

子どものころに虐待された私の体に埋め込まれたのは、後遺症という時限爆弾 #防止策イベント2022


みなさん、こんにちは😀

今年11月19日(土)の午後に、「子ども虐待防止策イベント in 東京 2022」を開催する都民ボランティアチーム「パワチル東京」のスタッフ れいこです。

今回は、私自身のつら~い虐待後遺症について書きたいと思います。
というのも、昨夜は眠りの精に見放されて、一睡もできなかったのです。

これも、私の数ある虐待後遺症の一つだからです。

私が、発症したのは34歳の時。
お決まりの眠れない、食べられないに加えて酷いめまいに襲われました。

寝返りを打っただけで、壁と天井がグルグル回り、吐き気が止まりません。
そして、体中の関節という関節が痛み始めます。

「リウマチじゃないの?」
「メニエール病かもしれない」

いろいろなことを言われましたが、私は自分の精神が壊れたことを知っていました。

休暇を取って精神科を受診しました。
自律神経失調症と診断され、1ヵ月休職することに。

「燃え尽き症候群かい?」と、校長は言いました。

考えてみれば、私は1日2~3時間しか寝ないで仕事に明け暮れていました。
「仕事が趣味」と公言して憚らないワーカーホリックでした。

ワーカーホリックだったこと自体が、虐待後遺症だったのです。

自分が精神を病んでしまったことは認められても、それが虐待後遺症だということには、長い間、気づかずにいました。

休職中の1ヵ月は、泣いてばかりいました。
あの頃のことを思い出すと、今でもつらくて涙が出ます。

やがて、自力で立つことも、歩くこともできなくなりました。
一ヶ月で、体重が10kg以上も減りました。

今度は血圧が下がって、低血圧性の立ち眩みを起こすようになりました。
立ち上がった時に、ぱたんと倒れることもよくありました。

お風呂場で倒れて顔を打ち、鼻血を出して、しばらく意識を失っていたこともありました。
それでも1か月後には復職しました。
主治医は反対しましたが、学校側の事情が許さなかったのです。
私のクラスは、たった1カ月で学級崩壊してしまっていたのでした。


3月まで何とか超低空飛行して、4月からは命令休職になりました。

休職と復職を繰り返して、43歳で分限退職になるまで教職にしがみついていました。
分限退職というのは、「職務に耐える能力がないからクビ」ということです。

その間、主治医も何人か変わり、診断名も仮面うつ病→うつ病→境界性人格障害→解離性障害→双極性障害(躁うつ病)と変遷しました。

躁うつ病というのは実に厄介な病気です。
うつ状態の時は、何もしたくない。
何もかもが面倒くさい。

楽しいことは、何もありません。
私は引きこもって、眠っていたいだけになります。

しかし、躁状態になると、万能感が高まり、お金遣いが激しくなり、活動的になります。
躁状態の目印は、短眠・小食・多動・多弁です。

ここ何日か、少ししか眠れない日が続いているので、主治医に連絡しなければならないでしょう。

私は、何か意味のあること、価値のあることをしたいと願っているのに、しばしばドクターストップがかかります。

病気のせいで、自分の生活が著しく制約されています。
とても強いフラストレーションを感じます。

多くの虐待サバイバーも、同じように感じていらっしゃることでしょう。
でも、そんなときは思い出してください。

私たちは、生きているだけで価値があるということを。

虐待後遺症は、私たちの体に埋め込まれた時限爆弾のようなもの。
あるいは、一歩間違えれば大惨事になりかねない地雷原。

生き延び続けるためにも、上手に付き合えるようになりたいものですね。

あなたも、私たちの開催する「子ども虐待防止策イベント in 東京 2022」で、虐待被害の苦しみや後遺症のつらさを書いて、告白してみませんか?

         
           

※当日会場で自分の虐待被害を伝えたい方、募集中。


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(代表・そら)

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